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私達は、忘れない。 ブログトップ

大好きな風景に思いを馳せる... [私達は、忘れない。]

信じられない災害

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被災された全ての方々にお見舞い申し上げます。

運悪く亡くなられた方に、心からご冥福をお祈りいたします。

慌しい普通の朝、一日も早く皆様に戻ります様に。


私達は、忘れない。 [私達は、忘れない。]


被災された皆様の3年間、心より敬意を表します。


無念にも、うばわれた全ての命に哀悼の意を表し

心より、ご冥福をお祈りします。




その時、私は上海に居た。

限られた情報、同じ映像がながれていた。

すべもなく、何も分からなかった。

恐怖と不安だけが深く心に刻まれた。



この気持ち、忘れる事など出来ない。
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震災から2年 [私達は、忘れない。]

1ヶ月間の上海出張、帰国予定は3月12日


その瞬間、上海の事務所に居た


日本を大地震が襲った、詳細は全く分からない


長時間にわたって、日本と通話が出来ない状況が続いた


サービス・アパートメントへ引き返し、普段 観ないTVをつけっ放しにした


その晩、一睡も出来なかった


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翌日、成田空港へ着陸態勢に入った窓越し 茨城方向の海沿いに黒煙が立ち並ぶ風景に


被災が現実であると、はじめて体感した





震災から2年、突然の別れ


苦しみや悲しみは、和らぐものなのか?


そうとは思えないが


過去の記憶をとどめ、前を向く尊さ


信じてます


そして私は、忘れない。


生まれ変わり [私達は、忘れない。]

釣れない....バス釣行BLOGですが・・・

先週末は出撃出来ず、今週末も明日から台湾出張にてムリッぽく~

何故か、来週末も大連出張のスケでして・・・

BLOGが自然消滅の危機にあります!(`ロ´;)

趣向は違いますが、タイトルに御興味お持ちでしたら~

引き続きご覧下さい<(_ _)>














会社の上海進出時、御世話いただいた方のBLOG引用です。

小oさん、無断ですが怒らないで下さい(o^-')b





今日は、 『生まれ変わりの村』 という本を読んでいました。

 人が亡くなってから、1年以内に約70%以上で、生まれ変わるということが本に書いていました。

 最長でも18年で、生まれ変わるというデーターがあるということをその本には書いていました。


 人間がなくなってから、生まれ変わるまで、それだけ早くできるのであれば、人間は、死という

ものが、一つの終わりだと考える必要ないのだな・・と思いました。

 人生は、今世で実現できなくても、次の人生でも実現できるように努力できるということだと

わかれば、少し安心しました。

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・・・以上が引用の内容です・・・


少しでも...

ほんの少しでも 心が軽く成っていただければ幸いです。


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いじめ...遠い記憶 [私達は、忘れない。]

だいぶ昔の、とある午後。

連泊出張先からの帰宅、駅よりタクシーで自宅付近に降り立ち・・・

自宅までほんの1~2分の距離を、疲れを引きずり歩いていると前方に新1年生と思しき

女の子が2人、歩いているのを遠目で認識し「新1年生は下校がぁ~まだ早い期間か~」などと~

ぼんやり眺めながら歩いておりましたが・・・

大人の歩幅ですので、段々と前方を歩いていた2人の女の子に追いついて行き...???

あれれ?

女の子の1人が もう一人の女の子のランドセルを持たされている 事に気付くのと同時に~

ランドセルを持たされているのが 我が娘で 有る事を認識しました!

その一瞬、娘が振り向き 親である私と目が合った!

その時の 娘の一瞬驚き、悲しみに変わって行く瞳 今でも色濃く胸に焼き付いております。


私:ただいま!

娘:おかえりなさい♪

・・・

ランドセルを持たせていた女の子が状況を理解し、慌てて笑顔で言った言葉は~

OOちゃん、今度は私がランドセルを持つ番だよね~♪

この言葉に、事の顛末を理解しました。

家に帰った私は、この出来事に一切触れずいつも通り娘との会話を楽しんだ。

その晩、食事を済ませ娘に問いかけてみた・・・





私:空手を教えてあげようか?


娘: ! ! !

娘:うん♪


空手と言っても、下段蹴り...ローキックですが、形から上半身の使い方、蹴り出す角度とスピードを真剣に教えました。

帰宅時間が早い日には、私の足を何度も何度も蹴り込ませました。

娘の真剣さが、蹴られている自分の足から伝わって来ます。






ある日・・・


娘:おとうさんOOちゃん を蹴っちゃった・・・

私:ふ~ん

私:どんな気持ちで蹴っちゃったの?

娘:悲しい気持ち...

私:じゃあ、明日OOちゃん に謝れる?

娘:うん♪



その後 極真空手の精神にふれ、一生学び続けると現在も通い続けております。

そんな長女も、今年から大学生♪

もし、いま長女に蹴りを入れられたら・・・私の脚は確実に粉砕されるでしょう((((゜д゜;))))







彼が起こした風は、命の尊さを皆で伝えあう暖かい嵐と成った。


ご冥福と、今こそ輪廻転生が事実である事を祈る。



震災、一年前の朝.. [私達は、忘れない。]

一年前、朝の自分は・・・

一ヶ月の中国出張も、翌日(12日)が帰国日と多分 気分上々で有ったと思う。

何時もの様に中山公園駅から、地下鉄4号線にて乗って通勤。

上海体育館駅に程近い、事務所に到着し コーヒー を飲みながら帰国準備をしていた。

翌日の帰国を知っている、フロアーの知人数名が訪れ~談笑した。

昼食も済ませ「今日は少し早くホテルへ帰り、帰国支度を!」と考え書類の整理中だった..

先程、談笑を済ませたばかりの 現地スタッフ が再び現れ 何やら慌てた感じで~

「日本が大変だ、君の家族は無事か!」と心底心配した様子に、大地震を知った。

携帯・固定電話で、本社(日本)・会社の個人・自宅・家族個人と連絡はとれない状況。

「とりあえずホテルへ戻ろう」と 上海体育館駅 に向かうと、改札前のモニター人だかり。

遠目からも日本人と分かる方が数名モニターに見入っていた。

私も、モニターに映し出される光景に暫し見入った。

何度も同じ映像が繰り返されるが、とても 受け入れる事は出来ませんでした。

数時間後には、家族・会社と連絡が取れそれぞれの現状を認識する事が出来た。

それでも、その夜は 一睡も出来ませんでした。


3月11日の夜 肌で感じた事は・・・

大勢の方々の恐怖や無念、私には一生忘れる事の無い感覚でした。


被災された全ての方々にお見舞い申します。

そして亡くなられた方々に、改めて哀悼の意を表します。




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2011-09-11 [私達は、忘れない。]

皆様こんにちは。

311から半年 経ちました。

3月12日に帰国し、13日(日曜日)S沼に向かうため122号を早朝走っていた時の事。

たしか、スズキ車だったと記憶してますが...荷物を満載していた隙間から中学生と思われる
メガネを掛けた少年が 本当に食い入るような眼差しで、私の車を覗き込んでおりまして...
3回目の赤信号でイラッとした私は、少年に向かい「何か様か!」と車内ではき捨てました。

Sへ向かう為、左折する際にナンバーブレートが目に入りました「宮城」でした...
自分の愚かさであるが いまだに、心が痛い。

被災者の方々は、何時まで苦しめば良いのでしょうか?

今は新政権に、期待する。



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震災から... [私達は、忘れない。]

未曾有の大震災から、5ヶ月経った。

何年、何十年経っても忘れてはいけない事がある。

世界で初めて原爆が落とされた日、時間、場所、犠牲者の多さ。

当然私自身の体験では無いが、エノラゲイ・リトルボーイ・アインシュタイン・機内録音
ショッキングであり、恐ろしいし悲しい事を子供達に極力感情抜きで伝えたい。

唯一の原子爆弾被災国である、日本の総理大臣が忘れられる事か?
官僚の文章でミスる数字か?何のために一流大学を主席で卒業したんだ!



私自身、大地震当日 上海におりました...

「日本が大変な事に成っている、あなたの家族は無事か!」と、同フロアーの別会社に
勤務していた中国人から知らされ、慌てて会社・自宅・家族の携帯に電話するも繋がら
ない状況でした。

帰国を翌日に控えて居た為、サービスアパート(上海での住まい)へ戻ろうと、地下鉄
最寄り駅である「上海体育館駅」へ行くと、改札手前TVでNHKの放映が流れていた が、
音声は無しそこで目に入った光景は重油タンクが流されている、多分ですが大洗町付近
の状況だったと記憶する。

すると、日本人赴任者と思われる方2人が後方より「何だこれは!」と、やはり知らない
様子であり、PCで得た情報を基に立ち話を数分した。

その事で不思議に、少し平静を取り戻したと記憶している。

312空港2.JPG
何時もは大混雑の荷物カウンターが...天井一部落下・水漏れ多数。

312空港1.JPG
こちらも、到着便アナウンス...全然便名が無い。



無事帰国したが 前日の夜、私にしては珍しく一睡も出来なかった事を憶えている。



現在も、行方不明の方々が信じられない程いらっしゃいます。

行方不明者をあんずる、ご家族の気持ちを考えると辛いし悲しい。

私達にできる事、それは忘れない事ではないか?

全ての犠牲者に、優しく暖かいお盆であります様に。


W.B.S 311義援キャップ [私達は、忘れない。]

メタメタ・バサーメンさん のBLOGで紹介されていた「W.B.S義援CAP」が先日届きました。

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震災から時間が経っていない状況でして、趣旨は「笑顔を取り戻そう!」と言う事でした。

本来はW.B.S殿から送られてきた文章をBLOGにと思っておりましたが、私なりの解釈をさせてください。

What We Can Do Now. 今、自分達にできることは何か。(本来、この後に文章が有ります。)

私達にできること、それは2011年3月11日の大震災を忘れない事!

現在「復興」が急務である事、十分理解しておりますが「御家族を亡くされた方々」の御気持は想像を超えております。

従来の風景は戻らないが、いつか町は違う形で再生するでしょう。

前向きに明るく、立ち直らなくてはいけない。

私は忘れない、あなたと過ごした日々を。
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